毒親というタームが逆効果(フィールドノート2026Jan11)
そろそろ、自分の問題を棚卸し出来そうだ、と、読めていなかった本を読み出した。
『マイブロークンマリコ』をもう一度読み、共依存と親の問題に取り組むべき、と思う。それで、
『毒になる親』スーザンフォワード、玉置悟訳、毎日新聞社
を読み、この本を読んで、書いてあることの真髄を分かるのは、日本文化の中にいたら、かなり難しいだろうな、と思う。
体調やメンタルヘルスを阻害する傾向が、親から子へ代々受け渡されてきたのを、自ら止め、回復するために必要なこと、が、かなりクリアに書いてあるし、現在なら、多方面からエビデンスも取れる内容だ。
ものすごい良書。
ただ、毒親という日本語は、反発というトリガーになって、みんなを刺激してしまっているだろうな、と思う。
さて。
久しぶりに、子どもの時の自分の傍らに降りていく。6歳。5歳かもしれないが、それくらい。
解離して、ボーとして、涙ぐんでいるその子の、傍らに、ただずんだことしかなかった。が、目の前にしゃがんで、そっと手を取って、それから、そっと抱きしめて、ぎゅっと抱きしめて、背中を撫でる。
私が、彼の親になって、守っていくのだ、と心に誓う。
不本意なことをしようとする人に、私が右手をぐーにして、腰を落として腕をぐっと引き、ストレートを出して、なぎ倒して追っ払うのをイメージする。
逃げて行くのを、見えなくなるまで見送る。
そうして、その子を、大丈夫だよ、とまた抱きしめる。
見送りながら、私の人生を返せ、バカヤローふざけるな、と怒鳴り散らす。
得られなかったものを知って嘆く。
しかし、その子の手を取って、とっておきの、私たちの次の人生に向かう。
私があなたを幸せにするから、大丈夫だよ。
そうして、しっかりと、カナダの大地を踏みしめる。
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