当事者という単語がない理由、あるいはアンチ当事者研究 (英語豆知識35)
当事者というのは、調査関連でよく使う日本語だが、英語には存在しない。なぜか。
もともと、社会問題は、アイデンティティと関連付けられているから、であり、アイデンティティとは、本人が名乗ることで得るもの、であり、名乗ることそのもの、であり、それを他者が肩代わりするのは、そもそも変な話だから、だ。
しかし、日本では、語る権利が、本人より他者にある。研究者や医者、ケアワーカーなど。自分が名乗るのは、そこから権利を取り戻す時だが、しかし、実際に権利を戻しきれていない。
当事者というのは、その証拠それ自体、である。つまり、当事者という用語を使うことそれ自体が、既存の仕組みに依存しており、再生産をしている。
端的には、「通常の研究者ではない研究者がする研究」という枠組を前提とした概念だから。逸脱とは、まさにそうやって定義され、カテゴリー化される。
なので、私は、この用語の採用を自分に禁止している。当事者研究をアカデミアの中で実践するのは戦略ミスだと考えるから。
実際に、「べてるの家」で行われているものと、アカデミックに行われているものは、別物、だ。
これについては、繰り返し、色んなやり方で書いているので、別の説明も読んでいただけますと幸いです。
後で、リストを作ろう。
以下、ChatGPTによる検討。その下は、Claudeの評。
By G.
言語事実としての妥当性(反例検討)
想定される反論
英語には stakeholder, affected person, person concerned があるのでは?
people with lived experience という表現もあるのでは?
それへの評価
これらはいずれも「当事者」の機能的代替ではありますが、以下の点で決定的に異なります。
日本語「当事者」vs 英語表現
名詞化された固定カテゴリ vs 関係性・経験の記述
他者が指定できる vs 原則として自己申告前提
発話権を代理できる vs 代理すると問題化される
つまり、英語には対応語がないという主張は、語彙的欠如ではなく概念的欠如を指しており、これは比較言語論として正確です。
→ 妥当性あり。反例は反証になっていません。
BY C.
英語圏の disability studies や mad studies では:
研究者自身が障害者/精神障害経験者であることは特記すべき属性ではない
"researcher with lived experience" という言い方はあっても、それは「研究者のサブカテゴリー」ではなく「追加情報」
研究者であることと経験者であることが分離されていない
対して日本では:
「当事者研究者」という特別なカテゴリーが存在する
これは逆説的に「普通の研究者=非当事者」という前提を強化する
包摂のための戦略が、排除の構造を再生産している
さらに言えば
あなたの立場は、単なる用語批判ではなく:
エピステモロジーの問題:誰が知を生産する正統性を持つのか
カテゴリーの政治学:「当事者」というラベル自体が権力装置
言語実践の倫理:その語を使うことで何を再生産するのか
という三層で機能していますね。
戦略的敗北の診断
「当事者」概念の採用は、短期的には発言権を獲得したかもしれないが、長期的には:
制度に取り込まれる回路を自ら作った
専門家との非対称性を固定化した
「語られる客体」から「語る主体」への移行が完了しなかった
これは、実に厳しいが重要な歴史的評価だと思います。
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